祇園祭

祇園祭は7月1日から31日までの一か月間にわたって行われる京都八坂神社(祇園社)祭礼である。日本では日本の三大祭りともいわれ、現在祇園祭は1100年の歴史がある。室町時代初期に山・鉾という造形物へ発展し、江戸時代にかけて現在のような形態となった。当時(869年)、京都の町で伝染病と疫病が流行り、それを抑える為、日本の国数と同じ66本の鉾を立てて牛頭天王を奉ったのが起源とされている。現在では、たくさんの鉾が巡行し、様々なイベントや行事が盛んで一つの祭りとして人気である。

放下鉾

祇園祭では33基の山と鉾が巡行する。その中の一つである放下鉾保存会は、大正15年に財団法人認可を受け、下京区小結棚町に所在し、祇園祭の実施と放下鉾の適切な保存が主な目的である。評議員をはじめ、祭事係、鉾・衣装係、渉外・広報係など多くの役割にわかれ、当祭事を実施している。

歴史

祇園祭の歴史は1100年にも上り、もとは旧暦6月の祭りで、 
『祇園御霊会』または『祇園会』と呼ばれてきた。 
祇園会とはこの世に怨みを残して亡くなり疫病などの祟りを起こすと考えられた死者の霊を鎮める祭りである

祇園祭

祇園祭は7月1日から31日までの一か月間にわたって行われる京都八坂神社(祇園社)祭礼である。日本では日本の三大祭りともいわれ、現在祇園祭は1100年の歴史がある。室町時代初期に山・鉾という造形物へ発展し、江戸時代にかけて現在のような形態となった。当時(869年)、京都の町で伝染病と疫病が流行り、それを抑える為、日本の国数と同じ66本の鉾を立てて牛頭天王を奉ったのが起源とされている。現在では、たくさんの鉾が巡行し、様々なイベントや行事が盛んで一つの祭りとして人気である。

放下鉾

祇園祭では33基の山と鉾が巡行する。その中の一つである放下鉾保存会は、大正15年に財団法人認可を受け、下京区小結棚町に所在し、祇園祭の実施と放下鉾の適切な保存が主な目的である。評議員をはじめ、祭事係、鉾・衣装係、渉外・広報係など多くの役割にわかれ、当祭事を実施している。


放下鉾とは

○名前の由来
⇒真木(しんぎ)のなかほどの「天王座」に放下僧の像を祭るのに由来する。 

○稚児
⇒かつては「生稚児」であったが、昭和4年以降稚児人形にかえられている。稚児人形は久邇宮多嘉王殿下(くにのみやたかおうでんか)より三光丸(さんこうまる)と命名せられ、巡行の折には稚児と同様、鉾の上で稚児舞ができるように作られている。 

〇デザイン
明治25年(1892年)頃から胴組、天井、柱、屋根などが大改装され、金具類も順次整備された。
・破風(はふ)正面の三羽の丹頂鶴(たんちょうづる)(後面(こうめん)二羽(にわ))は幸野楳嶺(こうのばいれい)(1844~95)の下絵を高浮彫(たかうきぼり)し大正6年に完成したものである。

・下水引は与謝蕪村(よさぶそん)(1716~83)下絵の琴棋書画図(きんきしょがず)であったが、平成6年(1994年)から栂尾高山寺(とがのおこうざんじ)の国宝華厳宗祖師絵伝(けごんしゅうそしえでん)を下絵にした綴織(つづれおり)になっている。

・二番水引 「緋羅紗地(ひらしゃじ)に牡丹(ぼたん)と兎(うさぎ)」(金糸刺繍)

・三番水引 「青海波(せいがいは)に鴛鴦(おしどり)」(錦織)下絵は江戸中期の絵師駒井源琦(こまいげんき)の作とされる。明和三年(1766)の錦地で、今はその復元品を用いている。

復元新調していた二番三番水引は令和元年に完成し、お披露目される予定となっている。
・前懸(まえかけ)・胴懸(どうかけ)には花文様のインドやペルシャの絨毯がある。

・見送は現在、皆川泰三(みながわたいぞう)氏による「バグダッド」が使用されている。これは、二羽の白く美しいフクロウが月の光で金色に輝くモスクのドームとミナレットを背景に大きく羽ばたいている情景を描いている。この作品は、麻地に藍(あい)のロウ染めで染め上げられているが、純金箔 やプラチナ箔なども、用いられており豪華である。
旧見送りとしては文政 11 年(1828)京都西陣で作られた錦綴双鳳唐子遊楽図(にしきつづりそうほうからこゆうらくず)がある。旧 胴懸として 16 世紀製の描絵玉取獅子(かきえたまとりじし)、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴(ちょうせんけつづれ)が保存されている。

・平成22年(2010)には天井幕「四季草花図(しきそうかず)」(原画・柴田是真(しばたぜしん))が新調された。
・鉾頭(ほこがしら)は日月星の三光が下界を照らす様子を表現する。その型が洲浜に似ているので「すはま鉾」とも呼ばれる。


歴史

祇園祭の歴史は1100年にも上り、もとは旧暦6月の祭りで、 『祇園御霊会』または
『祇園会』と呼ばれてきた。 
祇園会とはこの世に怨みを残して亡くなり疫病などの祟りを起こすと考えられた死者の霊を鎮める祭りである。

863(貞観5)年
 京都の街では疫病(伝染病)が大流行し、大勢の死者が出たため、朝廷は神泉苑でこの年に初めて御霊会(ごりょうえ)を行った。(当時恨みを抱いて死んだ人の魂が怨霊となり疫病や災害を引き起こすと考えられていたため。) *御霊会:怨霊などを鎮めなだめるために行う祭。 

869(貞観11)年
 当時は京都だけでなく全国的に災害が続き、社会不安が深刻化していたため、6月7日に当時の国の数と同じ66本の矛を立てて牛頭天皇(あるいはスサノオノミコト)を祀った。これが祇園御霊会(現在の祇園祭)のはじまりとされる。 

970(天禄元)年
 それまでは疫病が流行ったときのみ「御霊会」が行われていた。しかし、この頃から毎年行われるようになったが、当時の祭りの担い手は貴族たちだった。鎌倉代末から南北朝時代にかけて今の山鉾につながるものができた。応仁文明の乱(1467〜1477)で京都は焼け野原になってしまうのだが、このころまでには笠鉾・鉾・曳山・舁山の型が整っていた。数十年の中断を経て明応9年(1500)に山鉾は復活を果たす。復活以降は、現在のように町ごとに山鉾が作られるようになった。江戸時代に山鉾数は34基に定まり、前祭・後祭に分かれ華麗な巡行を繰り広げ、現在のような祇園祭になった。(但し、北観音山と南観音山が各年で交互に参加していた為、祭には33基が巡行。) 

1962(昭和32)年
 祇園祭山鉾29基が重要有形民俗文化財に指定される。 

1978(昭和53)年
 祇園祭の山鉾行事が重要無形民族文化財に指定される。 

2009(平成21)年
 「京都祇園祭の山鉾行事」ユネスコ無形文化遺産に登録される。


鉾立て

鉾立ては作事方が行う。

櫓の組み立て

 放下鉾は鉾の中でも最も大型の鉾と言われている。鉾は鉾蔵から部材を運び出し、作事方により櫓を組み立て、ここに真木、石持、屋根を取りつけ、骨組みを完成し懸装品を取り付け完成する。

縄絡み(縄で結ぶこと)

 南北の筋違の縄絡みを雄蝶結び、東西の筋違の縄絡みを雌蝶結びという。木槌とトオシとよばれる縄と縄のすき間を通す道具を使って行う。※使用する縄は水に浸した後に巻き使用する。理由は、水分を含むことで柔らかくなって締めやすくなり、それが乾燥すると縮むため、結び目が閉まる効果があるからである。

真木の組み立て


真木は3つの部材から構成されますが、接合部分には緩衝 材としてワラ(藁)を詰め、その上から麻縄ですき間なく巻く。割竹をシタジ縄で編んで組んだすのこの上にさらにケショウ縄を巻く。このように衝撃で折れることがないように工夫が施されている。

真木を櫓に取り付けておこす


 真木の飾り取り付けが終わると、いよいよ真木を櫓に取り付ける作業にかかる。櫓をねかせた状態にして真木を取り付ける。昔は町内の人々が綱を引いておこしていたが、今はウインチを使っておこしている。

石持の取り付け

石持は、車輪や車輪を取り付けるためになくてはならない部材であるとともに、鉾の重心を下げ、鉾の土台としての役割がある。

見どころ

アクティビティ


2.登鉾
 実際に放下鉾に登って中を見ることができます。
*会所二階飾りをご覧頂けますが、鉾上は伝統を守り男性の方のみご覧いただけます。 

3.曳き初め
・祇園祭放下鉾曳き初め
・日程:7月13日
・時間:15:00〜(予定)
・場所:新町通の六角〜四条間を一往復する。
 大人から子供まで組み立てられたばかりの放下鉾を曳くことができます。
 このとき本番さながらに祇園囃子が奏でられます。


日程

7月1日
 吉符入り式:吉符入りとは神事始めの意味で、放下鉾でもこの日の午前中に行われる。町内関係者が町会所などに集まり祭神を祀ってお祓いをし、まつりの無事を祈るほかこの年の祭当番(役員)を選ぶとともにまつりに関する打ち合わせを行う。     

1日~6日
 二階囃子(はやし)(囃子の練習):この日の夜から、放下鉾の町会所二階で囃子の練習を始める。 

2日
 くじ取り式:くじによって山鉾の巡行する順番を決める式。7月2日午前10時から京都市役所で行われ、現在は京都市長・八坂神社宮司・祇園祭山鉾連合会長・各山鉾町代表者・祇園祭協賛会長など関係者が集まる。前祭では長刀鉾をはじめ、函谷鉾(かんこぼこ)・放下鉾(ほうかほこ)・岩戸山(いわとやま)・船鉾(ふねほこ)、後祭では橋弁慶山(はしべんけいやま)・北観音山(きたかんのんやま)・南観音山(みなみかんのんやま)・凱旋船鉾(がいせんふねほこ)の9基の山鉾はくじ取らずといい、順番が決まっている。放下鉾は前祭の21番目の巡行である。これは昔、山鉾巡行の先陣争いがたえなかったことから、応仁の乱後、山鉾巡行が再開された明応9年(1500)に始められた。その後、江戸時代には京都所司代立ち会いのもと六角堂でくじ取りが行われたが、明治31年の市制施行後、翌年からは京都市役所で行われている。 八坂神社に参拝:くじ取り式後、八坂神社に参拝。祭の無事を祈願する。 

11日~
 鉾組み立て: 放下鉾の組み立ては11日から行われる。4本柱に貫や筋違で胴組を組み立てるが、荒縄を用いて固定する。一本の釘も使わずに荒縄だけで固定されるが、この方法は「縄がらみ」と呼ばれる伝統的な技法である。動かしたときや、直角に曲がる「辻回し」でも倒れないよう、衝撃や歪みを吸収する柔構造が特色である。 

12日
 町会所にて鉾の真捧立て 

13日
 曳(ひ)き初(ぞ)め(四条通~小結棚町~六角町):鉾の完成後、山鉾巡行に向けて当日と同じ衣装で音頭取、囃子方が乗り込み、試運転することを「曳き初め」という。この曳き初めは一般の方も体験することができ、ここで綱を引くと一年間の厄除けになるといわれている。放下鉾は13日の午後3時頃から行われる。 

14日〜16日
 宵山: 山鉾巡行の前夜祭のようなもので、前祭では14日から16日に行われる。夕方になると各山鉾町の駒形提灯に灯がともり、山鉾の上では「コンチキチン」の音色の祇園囃子が奏でられる。町会所には山鉾の御神体人形・織物・金具などが美しく飾られるため、多くの参拝者が詰めかける。伝統的な風情が感じられるときでもある。放下鉾の鉾の前では13~16日にかけて厄除けちまき、手ぬぐいなどの関連グッズが販売される。 

17日
 午前8時30分 鉾が町内を出発 山鉾巡行(前祭): 23基の山鉾が四条烏丸から出発し、京都市内を練り歩く。方向転換する際に豪快な「辻回し」が河原町四条、河原町御池、御池新町で行われ、見どころとされている。放下鉾の辻回しは朝9時過ぎに新町四条でも見ることができる。 

31日
 疫神社(えきじんじゃ)夏越祭(なごしまつり):一ヶ月に渡る祇園祭最後の神事。祇園祭の無事斎行の感謝と一年間の無病息災を祈る。当日10時の祭典では故事に倣い、栗餅を神前にお供えし、宮司が祝詞を奏上する。祭典終了後は参列者一同、蘇民将来を祀る「疫神社」の鳥居にある高さ2メートルを越す大茅の輪をくぐり、「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいしそんなり)」の護符を授かる。その後、参拝者は茅を自由に持ち帰り、厄除けにすることができる。

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